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アーレントとハイデガーの往復書簡を読んでたら…

ハイデガーヘルダーリンを詩人の詩人(der Dichter des Dichters)と呼び、自身の思索の道において(とりわけ1930年代以降)幾度もその言葉と取り組んだことはよく知られている。

 

アーレントとのあいだの50年にわたる手紙のやりとりにおいても、ヘルダーリンはしばしば顔を出す。

 

みすず書房からの邦訳(大島かおり・木田元共訳)が今手元にあるのでその索引を見てみると、12, 35, 70, 98, 99, 102, 106, 109, 112, 115, 124, 157, 172, 173, 254, 257, 258, 260, 263, 271, 274, 279, 285頁(※もっとも、233頁以降は「補遺」の注などだが)にヘルダーリンの名前が出てくる。

 

そのうちの1つが、アーレントの60歳をお祝いする内容の手紙91で、そこにはヘルダーリンの次の詩が同封されていたらしい。

 

上記の訳本125頁から引用させてもらうと-

 

 秋

 

自然の輝きはより高き現象。
そのなかで昼は多くの喜びをもってみずからを閉じ、
年はそこにおいて絢爛さをもって完結し、
果実がいと高き輝きと合一する。

見渡すかぎりの大地は飾りに彩られ、騒がしい音が
ひろやかな野を渡ることは滅多になく、太陽は
秋の一日をおだやかにあたため、野は
一つの遠望としてひろがり、風が吹きぬけて

大枝小枝をたのしげにざわめかせる、
たとえ野はまもなく空虚に席をゆずるにしても。
この明るい光景のすべての意味は生きつづける
金色の絢爛につつまれた一枚の絵が生きるように。

 

※ 注4(271頁)によれば、「この詩は1927年になってはじめて印刷されて『園亭』に収められている。Friedrich Hölderlin, Sämtlische Werke (Stuttgarter Hölderlin-Ausgabe, hrsg. von Friedrich Beissner), Band 2 (1951), S. 299 (Text), S.918 (Lesarten und Erläuterungen)を見よ。そこに印刷されているのは、ハイデガーが引用しているのと一個所だけ相違がある。第一節の四行目、"hohem Glanz"ではなく"frohem Glanz"となっている。」

 

ここで、何十年かぶり…というほどでもないか、でもまぁかなり久しぶりに、わたしがたまたま持っているヘルダーリンの詩集*(昔ドイツに行った時になんとなく本屋で「記念に」と思って買った――買ってほんとに記念に置いてるだけで、中身はほとんど見ていない)を開いてみる。

 

* Friedlich Hölderlin, Gedichte, Herausgegeben von Gerhard Kurz, in Zusammenarbeit mit Wolfgang Braungart, Nachwort von Bernhard Böschenstein, Philipp Reclam jun. Stuttgart, 2000.

 

S. 436

 

Der Herbst

 

Das Glänzen der Natur ist höheres Erscheinen,

Wo sich der Tag mit vielen Freuden endet,

Es ist das Jahr, das sich mit Pracht vollendet,

Wo Früchte sich mit frohem Glanz vereinen.

 

Das Erdenrund ist so geschmückt, und selten  lärmet

Der Schall durchs offne Feld, die Sonne wärmet

Den Tag des Herbstes mild, die Felder stehen

Als eine Aussicht weit, die Lüfte wehen

 

Die Zweig' und Äste durch mit frohem Rauschen

Wenn schon mit Leere sich die Felder dann vertauschen,

Der ganze Sinn des hellen Bildes lebet

Als wie ein Bild, das goldne Pracht umschwebet.

 

 写してばかりもなんだが、高木昌史氏の『ヘルダーリンと現代』(青土社 2014)からも、あらためて訳詩を引用させてもらう。(329-330頁)

 

自然が輝くのは気高い現象だ、

昼が多くの喜びとともにその時、終わる。

華麗に完成するのは年月、

果実はその時、楽しい輝きと一体となる。

 

地球はかくも飾られ、物音が

開かれた野にざわめくことも稀だ、太陽は

秋の日を優しく温め、野は

眺望の及ぶ限り広がり、風が吹き、

 

大枝と小枝の間を楽しくざわめきながら通って行く

野が空虚さと入れ替わっても、

明るいイメージの感覚はすべて生きている、

金色の華麗さが周りに漂うひとつの絵のように。

 

          一七五九年

          十一月十五日

 

[解題](332頁)によれば、この「秋」は、1842年7月12日成立。

(※先のアーレントハイデガー往復書簡のなかでは、1842年についてわざわざ「彼の死の一年まえ」と書かれていた。)

シュテファン・ツヴァイク編「ヘルダーリンの未発表詩」1927年に初めて発表された、とある。