ドイツ語関係メモ帳←わたしが…←(旧名)脱-原発へ

URL とは一致しないブログ設定になりつつありますが、「脱-原発へ」の気持ちはそのままです。

「不可能なこと」

hermann-hesse.de の文学のページに、エピグラフみたいに、次の言葉が掲げられていた。

 

 「可能なことが生じるためには、 いつも繰り返し不可能なことが 試されなければならない。」

 

ネットで調べたら、もとの文は次のようなものらしい。

 

"Damit das Mögliche entsteht, muss immer wieder das Unmögliche versucht werden."

 

Wikiquoteの、Das Unmögliche のページに載っていた。それによれば、この文言は、Wilhelm Gundert宛ての1960年9月の手紙にあるものらしい。

 

※ここから※※まで、2017.10.24 追加。

https://www.amazon.de/Mein-Hermann-Hesse-Lesebuch-taschenbuch/dp/351846017X

上の文言は、Wikiquote の Hermann Hesse のページにもあって、それによれば、

"Damit das Mögliche entsteht, muss immer wieder das Unmögliche versucht werden." - Brief (Sept. 1960) an Wilhelm Gundert Quelle: Mein Hermann Hesse – Ein Lesebuch. Hrsg. Udo Lindenberg, 2008, Suhrkamp Verlag, S. 26

上の本の26頁に載っているらしい。

(26頁ってことは…>> Sei Du selbst <<  Aus Hermann Hesse Briefen an junge Menschen からの章よりも前のところからやんなぁ…この本を手に取ってないからわからんけど、アマゾンの「なか見!検索」= Blick!insBuchより)

※※

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ついでに、W.グンデルトについて。ウィキペディア記事(独)を見たら、この人はこの人で興味深いなと思った。ヘッセとこの人はおじいさんが同じ。おじいさんはヘルマン・グンデルト。

 

その生涯の年譜 | Hermann Hesse

www.hermann-hesse.de/node/663 - 

…宣教師としての教育を受けた父は、短期間インドで活動した後に義理の父となるへ ルマン・グンデルトの助手としてカルプ出版協会で働いていた。ヘルマン・グンデルトは 自らもインドで宣教師だったが、そこで言語学者として、また学校の創設者として名をなした。…

 

ヴィルヘルム・グンデルトは、ヘッセより3歳ほど年下のいとこ。20代半ば(1906)に日本に来て、内村鑑三らと知り合い、日本(東京、熊本、水戸)でドイツ語を教えたり、ドイツに戻って日本学のKarl Florenzのところで博士号を取ったりしている。(1934年、NSDAP入党か…)